鴻ノ峰には山口大神宮からの登山ルートともう一つ、木戸神社からのルートがある。後者の方は、道が舗装されていて途中まで車でも登れるようになっている。帰りはそのルートをいくことにした。
降り始めてすぐ、木々の間から山口市を見渡せる所があった。登りのルートにあった展望公園よりもこっちの方が見晴らしがいいような気がした。
それからどんどん下りていくが、なんとも道がいい。登りは道幅が狭かったので、至る所に雲の巣が張り巡らされていたし、コバエが終始まとわりついてきて苦労したものだが、こっちの道は全くそんなことはない。それともう一つ下山にこっちのルートを選んだ一番の理由が登りの時に岩場に蛇がいたからだ。狭い道なので避けて通る事も出来ない。私は蛇が死ぬほほど苦手なので、またそこを通るのが嫌だったのだ。だが、こっちの道だったら道幅が広いので、かりに蛇がいたとしてもいくらでも逃げようがある。
さらに下りていくと、この日一番の見晴らしのいい展望場所があった。
そこは、ひらけた場所になっていて、草も生えておらずイスまで用意してある。そのイスから見た景色がこちらだ。
こっちは吉敷方面。大内方面も見渡せる。
登山と人生はかなりの部分で重ね合わせる事ができると私は思う。かならずしも頂上が一番いい景色だとは限らないし登る途中、下る途中いつどこで素晴らしい景色に出会えるかわからない。
人生もそうだ。人生に頂上があるのかどうかはわからないが、何か目標を達成したとして拍子抜けをすることもある。それまでの過程の方が楽しかったということもあるだろう。もちろん目標を達成してすごい充実感を得られることもあるだろう。いつどこでどんなことが起こるかわからないから、歩き続けるしかないのだろう。歩くことを辞めたら苦労をすることもないかもしれなが、同じ景色しか見る事はできない。歩き続ければ、苦労もあるだろうが、どんな素晴らしい景色に出会えるかわからない。わからないからこそワクワクするし、楽しいのだと思う。
降り始めてすぐ、木々の間から山口市を見渡せる所があった。登りのルートにあった展望公園よりもこっちの方が見晴らしがいいような気がした。
それからどんどん下りていくが、なんとも道がいい。登りは道幅が狭かったので、至る所に雲の巣が張り巡らされていたし、コバエが終始まとわりついてきて苦労したものだが、こっちの道は全くそんなことはない。それともう一つ下山にこっちのルートを選んだ一番の理由が登りの時に岩場に蛇がいたからだ。狭い道なので避けて通る事も出来ない。私は蛇が死ぬほほど苦手なので、またそこを通るのが嫌だったのだ。だが、こっちの道だったら道幅が広いので、かりに蛇がいたとしてもいくらでも逃げようがある。
さらに下りていくと、この日一番の見晴らしのいい展望場所があった。

そこは、ひらけた場所になっていて、草も生えておらずイスまで用意してある。そのイスから見た景色がこちらだ。

こっちは吉敷方面。大内方面も見渡せる。
登山と人生はかなりの部分で重ね合わせる事ができると私は思う。かならずしも頂上が一番いい景色だとは限らないし登る途中、下る途中いつどこで素晴らしい景色に出会えるかわからない。
人生もそうだ。人生に頂上があるのかどうかはわからないが、何か目標を達成したとして拍子抜けをすることもある。それまでの過程の方が楽しかったということもあるだろう。もちろん目標を達成してすごい充実感を得られることもあるだろう。いつどこでどんなことが起こるかわからないから、歩き続けるしかないのだろう。歩くことを辞めたら苦労をすることもないかもしれなが、同じ景色しか見る事はできない。歩き続ければ、苦労もあるだろうが、どんな素晴らしい景色に出会えるかわからない。わからないからこそワクワクするし、楽しいのだと思う。
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